（１/０７up） その３２ 新春ゴルフ夢譚 （１/０７up）
七月の頃、栃木県内のあるゴルフ場にて、全英オープンゴルフトーナメントのテレビ中継を深夜まで見てしまった孫太君は感動しそして少し興奮していた。
その日のプレーを終え、二階のレストランでコーヒーを飲んでいるとそこへ通りがかった支配人と顔が合ったので思わず尋ねた。
孫太「ねえねえ、支配人さん。全英オープンってオープン競技なんだから良い成績を残せば誰でも出場出来るんでしょ？どうすればいいの？」
支配人「貴方の場合はですねえ、先ず、当ゴルフクラブの月例Cクラスで優勝して下さい。するとクラスBに出場出来ますから、そこで又優勝して下さい。次にAクラスで勝ち、社長杯、理事長杯、クラチャンと勝ち進んで下さい。するとクラブ内審議の結果次第で栃木県西部地区大会に当クラブを代表して出場する資格が与えられますから、そこで優勝して下さい。すると栃木県オープンに出られますからﾄｯﾌﾟアマやプロ相手に勝って下さい。すると関東オープンに出場できますからそこで又優勝して下さい。次に日本オープンに勝って下さい。これでプロアマ関係無く日本一になれるのです。これを続ければいつか全英オープンに出場出来ますよ。(^o^)」 と、来たもんだ。
孫太「一生かかっても出場不可能なことが良くわかりました。練習時間、あご、あし、まくらなどの費用（トーナメント会場迄の交通費、ホテル代、食事代のこと）、屈強な肉体、才能、レッスンプロとの出会い、どれをとっても不可能ですね。」
もうここまでのお話を聞いて、落胆はとっくに通りすぎ、失望から失笑に変っている自分がいた。
支配人「まあ、そうおっしゃらずに一つ挑戦されてみてはいかがでしょうか。一度きりの人生じゃありませんか。ゴルフも人生もチャレンジ精神を失ったらもうおしまいですよ。取り敢えず来月もCクラス月例に参加して下さい。」そう言い残して支配人さんは笑みを残しながら静かに立ち去った。
孫太君は家へ帰ってもずっと頭からその言葉「一度切りのゴルフ人生」ってやつがが離れなかった。
そして、ついに無謀にも彼は一大決心を固めたのである。 そう「やるっきゃない！」考えていても何も始まらないのだ、と。
翌日孫太君はスパイクの鋲を二本買って抜け落ちたスパイクに差込み、クラブもフルセットのものにし、カッパと帽子も揃え、シャツもスラックスも買い替えた。気分一新、霊験新たかに取り組む環境を整備、レッスンプロに習って毎晩３００発を打ちこんだ。
そして見事翌月のCクラス月例杯を獲得。全英オープンへの第1段階をクリアーしたのである。ハンディも３６から１８へと変更された。
しかし、その後の苦労は言うまでも無い。が、、夢なので、中略。そして数年後。
話は時間、空間を超え、場面もがらりと変って関東オープンゴルフトーナメント会場スターティングホールにはなんと孫太がさっそうとデビューしていたのである。（夢なんだから勘弁してm(__)m）
ティーグラウンドに仁王立ちするそのりりしい姿。顔は日焼けして真っ黒状態。クラブの仲間も先輩らも応援に駆け付けて来てくれた。真っ赤なポロシャツに黒いスラックス。一昔前のいでたちになってしまったのはバーゲン用品しか買えなくなるほど疲弊した軍資金のせい。
給料を家族に渡さず、家庭を省みなかったこの数年。女房子供にも逃げられ満身創痍状態。もう後がない。勝つことしか彼には生きる道が無くなっていたのだ。
それほどまでしてあらゆる困難を乗り越え逞しく成長した孫太だが、勝ち続けることだけした知らずにいたので、ゴルフの先達かつ友人でもある重一君の忠告に耳も貸さず、ここまでのし上がった自分に満足していた。
じゅういち君は幼友達で、プロゴルフ業界の裏を知り尽くし、ゴルフの精神的怖さまでをも知っている男である。
「ふん、精神的怖さ？そんなもんおれには関係ねーよ、勝てばいいんだろ、オレの目標は全英オープンに出場することだけだ。」と昨晩電話で話したばかり。
初日、二日目と順調にスコアを伸ばしていった孫太君には言葉は要らない、といわんばかりの自信に満ち溢れていたのだ。
並居るﾄｯﾌﾟアマ、プロを尻目に3日目もスコアを伸ばし、ついに明日はチャンポとエオキの両プロとラウンドすることになり翌日の決勝日を迎えることになった。明日は黙っていてもやって来るが、決勝日は単なる明日ではない。全霊を傾ける為に前向きに迎えなければならない。最終日の組み合わせについて競技委員会から発表を聞いて、「明日が最後だ」と自らを奮い立たせようとした。「なあに、いつものとおりじゃないか」と。
しかしチャンポとエオキプロの球筋とか勢いが予選二日間と三日目の今日とでは丸で違う、という声が周囲からちらほら聞こえてくるではないか。
孫太は思った。「な、なんで前半二日間と後半決勝ラウンドではゴルフが違ってくるの？毎日同じコース、同じボール、同じクラブ、同じ同伴キャディでやってるだけじゃないのか？だから予選通過後の３日目にあれほどスコアを伸ばしてきたのか、二人とも。これがプロの競技というものか。」
ひとたび考え始めるともう止まらない。
「そういえば、今日の競技終了後の練習ではさすがに両人はスゴイ球を打っていたなあ。急成長のおれのことなんか丸で眼中にないような集中力だったなあ。気にならないのか、アマチュアの星、孫太の存在を」
「そういえば記者も取材に来ないし、友人らもただひたすら頑張ってね！としか言ってくれない。アドバイスは誰もくれない。明日の天気はどうなるんだろう？雨か晴れか、風は強いか、まさか雪は降るまい」
走馬灯のように同じ言葉が自分の頭の中を何度も駆け巡り、結論は出ない。何故か自信も沸いて来ない。なんだか恐ろしい結果が出るような、そんな気がしてきた。一人寝の夜は長い。夕食も喉を通らなかった。
武者震いが止まらず、寝付けず何度もベッドで寝返りをうつ孫太君は夜中、堪らずじゅういち君の家に電話をかけた。かけずにはいられなかった。声を聞かずにはいられなかったのである。ワガママである。
孫太「深夜に電話しちゃってゴメン。明日は決勝日なんだよ。どうすりゃいい？」
じゅういち「ちゃんとテレビで見ていてやるよ」
孫太「有難う。君は明日は何してるの？」
じゅういち「日曜日だからなあ。午前中は犬の散歩。クルマを洗って、そんで、ついでに犬も洗ってやるかなあ、へへへ」
孫太「なんだか、おれ急に、恐くなっちゃってさあ」
じゅういち「やっぱりそうだろうなあ、おれには経験がないけど、なんとなくわかるよ」
孫太「一生のお願いがある。明日、僕のキャディをやってくれないか。頼む。何故か全然眠れないんだよ」
鼻水垂らしながら半ズボンで野山を駆け回ったあの頃、共に学び、共にいたずらしたあの頃。その信用は既に信頼に昇華していたのか。
じゅういち「お前がそこまでいうなら余程の事態なんだろう。よし、行ってやろう。その代わり思いっきり頑張れよ。」
孫太はその一言を聞いてぐっすり眠れた。「明日はじゅういち君が来てくれるんだ」
しかし、運命のいたずらか無計画なワガママに天の神が怒ったのか、翌朝じゅういちくんの車は故障していてエンジンがかからない。
早朝ゆえ車を貸してくれる人もいない。
約束を果たすべく、じゅういちくんは電車バスを乗り継いで、死に物狂いでトーナメント会場を目指した。
が、間に合わない。一方の孫太君。スターティングホールで名前を呼ばれた選手が次々とティーショットを打ってゆく中で孫太は焦った。
「じゅういち君遅いなあ。場所がわからないのかなあ。じゅういちのヤツ、さてはオレを裏切ったか？嫉妬したか？深夜の依頼なのであしらわれたかのか？無理もない。夜中に泣き言を言って、聞いてくれただけでも有り難いではないか。電話一本のムリなお願いをした俺が悪いのだろうな。あいつにも家族があるからなあ。」落ち込む孫太。練習グリーンでも集中できない。
そうこう悩んでいるうち、名前が呼び上げられいよいよスタートする時間になった。
晴天、美風、トーナメント会場には沢山のギャラリーが詰めかけているが
みんな無論エオキプロとチャンポプロのファンばかり。無名の孫太に寄せられる声援はなく、一層淋しい思いが増幅してゆく。
じゅういち君にキャディを頼んだのでハウスキャディも断っていた。バッグを自分の肩にかつぎ、とぼとぼとティーグラウンドへ上った。
自信に満ちたプロの顔。彼らのしゃべる言葉ばかりが聞こえる。自分の声は自分にすら聞こえない。淋しさを通り越して、悲しくなってきた。
チャンポプロはギャラリーに冗談ばかり言いながらリラックスしている。そしてその巨体と精神をボールに集中させて豪打を放つ。フェアウエイセンターにしっかりとボールをキープする。エオキプロも負けじとそれはもう驚く様な球筋。
沸き上がる拍手。しかし孫太の味方はいない。いや、数人の支援者とわずかな親戚がが駆け付けてくれているのだろうが、2重３重に囲まれたギャラリーの前にその姿すら見えない。
気を取り直し、情けない自分の姿を取り払おうと力む孫太。ティーショットは大きく右に逸れ、数年振りのＯＢとなった。
「やっぱり駄目だな、素人は」ギャラリーからは馬鹿にする声が聞こえる。そんな言葉ばかりしか聞こえない。
すっかり落ち込んだ孫太は１番をトリプル、そして２番もダボ。惨憺たるスタートになった。
自分で担ぐバッグがやけに肩に食い込む。余計な力を入れるので、握力のバランスも狂い、ショートパットすら入らない。嘲笑される孫太。孤独な孫太。今までのゴルフ人生はなんだったのか。勝ち続けた時の自信などもうどこにもなくなっていた。暗い気持ちになり、小さくなり、落ち込み、とぼとぼと小股で歩く姿は丸で晒し者ではないか。
パーを一つもとれずに迎えた5番ホールのインタバルでとうとうプロに言われた。「俺達プロは真剣にやっているんだ。目障りだから消えろ」
あまりにショックなお言葉。真っ青になり、歩くことも出来なくなった。人生最大の落胆。まるで谷か池か雑木林の中に、自分の肝を落としてしまったようだ。もうだめだ。
注→ここで夢が醒めてしまったのでは、今後どうにもならない。新春夢譚なんですからまだ続きがあるのです。 注 終わり。
その時、突然、背後から孫太はキャディバッグを引っ張られた。心無いギャラリーの悪戯か、と力無く振り返ると、そこには息も絶え絶えのじゅういち君の尊顔を拝することが出来るではないか。な、なんと。それはまるで地獄で仏に出会ったようだ。正にそのお姿は慈母観音菩薩像ではないか。
じゅういち「遅れてゴメン。車が故障しちゃって、エンジンがかからなかったんだよ。」と、申し訳なさそうにじゅういちが言った。
そう言いながらじゅういち菩薩に肩を叩かれ、孫太はあふれ出る涙をこらえる事は出来なかった。杉木立の中で足を止め、二人はじっと顔を見合わせた。
孫太「あ、ありがとう。待っていたぜ。ずっと君が来てくれる事を信じていたよ。やっぱり来てくれたんだね。家族の方達にも迷惑なお願いをしちゃって悪かったな」
じゅういち「関係ないよ。お前にとって今日は一生でたった1回きりの今日だもんな。あーあ、久しぶりに来たゴルフ場はやっぱりいいなあ」
そうか。やっぱりいいんだな。ゴルフ場は。孫太はそう思った。勝負を捨てた時、初めてそう感じたのだ。
盟友じゅういちにキャディをしてもらい、孫太は本来の自分をようやく取り戻すことができた。朝から１１オーバーでは勝負はもう終わっている。だからこそ後は一生懸命自分のゴルフをするだけ。じゅういち君の的確なアドバイスをもらい、無事１８ホールをフィニッシュすることが出来た。爽快だった。
楽しかった。プレーもしないじゅういち君が来てくれたんだ。はるばる、ここまで。こんな遠いところまで。
スコアは散々だったけど、全英オープンへの夢は断たれたけれど、もっと他の違う何かを得た孫太君の人生はその後確かに変ったのである。
おしまい
