勿体つけてやろうと思いつつタクシーに乗らず新宿駅からわざと歩 く。するとこれが結構遠い。ビルは見えるのだが届かない。「ま、いっか」(^.^)
携帯電話に何度も居所を確認する連絡が入るが「もうすぐです」とか言って凌ぐ。そのグループはそのうち諦めて解散するだろう、という淡い期待もあった。「あの人の紹介してくれる相談者の話って、いつもなんだか変わっているんだよね。登記用紙をそっくり新しく書き換える方法はないか、とか、夫に知られずに自己破産する方法とか」
やがてヒルトンの広い喫茶室に到着する。受付カウンターで呼び出しをかけてもらうと、若衆がすっとんで迎えにきてくれた。早速手形法小切手法に関 する法的手続きに関する質問が矢継ぎ早に出された。しかしいかにも素人っぽい。目線 が血走っている若者二人と女性経営者が紹介者と共にお茶を飲んでいて、不渡り小切手 の扱いについて善後策を練っている際、孫太司法書士を知っている紹介者が思い出して急に呼んだらしい。いきなりの質問なので小切手流通に関してはあまり詳しい知識を持ち合わせていないのだが知っている範囲で回答するとその女性経営者はすぐに気に入ってく れたらしくて、突然、大阪に乗り込むから同行してくれと切り出してきた。
突然の出張要請を受け、これにはたまげた孫太は即座に断るが拉致同然にベンツ５００に乗せられて羽田空港へ向かう。目が血走っている若者が飛ばすので結構上下に揺れる。
環状６号線代々木手前当たりで生年月日を聞かれた。羽田空港チケットカウンターへ申し込むためらしい。矢継ぎ早に、今度は揺れるベンツの中で女性経営者がハンドバッグの中から何やら取り出した。そこで初めて具体的な不渡り小切手を見せてもらった。もう既に外の陽が暗いのでなかなか桁数が読めない。
イチ、じゅう、ヒャク、セン、マン、ジュウマン、ヒャクマン・・
・ゲッ、４５億円だ。 これを登記原因として相手方やその連帯保証人の物件に抵当権を設定登記するという構成を教えたのだが、現地の司法書士のほうがいいよ、と言っても譲らない。是非同行してくれ、権利を守ってくれという。
そういや新宿のどこかで地上げを巡りドウワとヤクザと労組と何とかが入り乱れて発砲 、銃撃戦が起きているという新聞記事を読んだことがあるな。あ、段々と思い出した、 よく見るとこれは太平なんとかという株の仕手戦か不正取引で有名な会社が発行した小切手ではな いか。 や、やばい、和解契約書作成のためと称して何も持たずに乗り込めば逆に大阪のホテルで監禁されそうだ。換金どこ ろじゃない、早く帰えるべきだと気がついておもむろに切り出す。
「あのう、私今夜は子供をお風呂に入れる当番なので早目に帰宅したいのですが」と話出すと紹介者のヒゲ男がほくそえみながら
「うっふっふ、先生そんな冗談言っちゃだめですよ 、女のところへしけこもうとしているんでしょ、ビジネス・・・ビジネスですよ、今は肝心な時です。彼女のところへは仕事が終わったらゆっくりしけこめばいいじゃないですか 」などと諌められてしまう。いや、多分、自分の感覚で人を評価しているのだろう。人間は自分の感性を尺度としないと評価できないものだ。出自も不明な男。この都会には実に不思議な人種が棲息しているものだ。アテネ、ローマ、ニューヨーク、イスタンブールなど世界の中心都市にはホテル住まいの多国籍商人が多数暮らしていることを見れば、このヒゲ男ブローカーがうろちょろしていても不思議ではない。
ヤバッ ！！これは拉致される！！
そこでまた考え直してなんとか行かない方法を考え出す。理由が必要だ。
「偽造による無効の主張はないだろうけれど、意思能力や機関決定の正当性については揉めるかもしれません。振り出し時点における事情を知っている方は他にいないのですか、 その方から聞いたうえで深夜便で行けばいいでしょう」と矛先を変えるための方便を乱発。 運転している目が血走っている男性が「そういえば原宿に居る○○会長のところへ寄り ましょう、何か知っているかもしれない」と言い出した。女性社長も賛同したのでベン ツ５００はキキキーッとタイヤ音を鳴らしながら急遽方向転換し山手線内側へと進路を変える。外は既に漆黒の闇。赤色黄色ピンク色のネオンがやけにさびしくついたり消えたりしていると感じる原宿辺りのマンションの上の方。
オートロッ クの重厚なドアを開けると夜なのにサングラスをかけてびしっとしたグレーのスーツを 着た男が待っていた。オールバックのアイパーをかけた風。何やら女性経営者と立ち話した後、今夜の大阪行きは中止となっ た。その間、ものの数分。たったそれだけで方針が変わる。実に軽い。小切手の額面は重たいのに。話している内容は皆目検討がつかないがとにかくホッとした孫太、これで家に帰れるわい。
孫太を電話一本で簡単に呼び出す発想、すぐに大阪へ行こうとする判断の甘さ、原宿でいさめされるとすぐ変心。なんだかマインドが軽いな。行動は早いがどこか抜けているようだ。だから甘い話に安易に飛びついて不渡りをつかまされたのだな、とその可能性を計ることは難解ではない。
一方この頃、サメの目の会長は同じ職安通り地上げ事件の当事者として労組、ヤクザ数組、警察 と対峙していたことが後で判った。段々繋がってきた。話の端々でホテルの喫茶室で聞いたことや仄聞したことが一致してきて情況が立体的に見えてきた。
彼は総額数百億円のプロジェクトにからめば何かしらの金になるとふんで 、飲み屋などの零細業者からのＳＯＳに呼応するように介入してきたらしい。して、警察の副署長と抜刀発砲はしないという誓約書を結んだとか、変な形で手打ちして話がまとまったのに相手側がある日の協議会で突然銃を持ってきたというのである。「それじゃ約束が違う、相手の方もちゃんと指導しろ」怒って警察署へ乗り込んだのだが、門番に制止 されることが明白なので
公道上でウィスキーのポケット瓶を一気飲みしたうえで、空き瓶を門番に渡し、自ら運転して警察署へ入り「俺は飲酒運転の現行犯だ、すぐ逮捕してもら
おう、副署長の○○を出せ、取調べしてもらおうじゃねーか」と凄んだのだ。
顔色が赤くならないことをいいことにして交渉前にウィスキーをちびちびやるようになった。朝から、昼も、そして夜から深夜まで続ける。会長の仕事は時間が不規則。運転手の若衆も当然不規則となる。過労、精神的疲労、断続的飲酒を続けていた。